【平城宮跡】悠久の時を経て

平城宮跡を訪れたのは二十年ぶりです。

壮大な朱雀門と、何もない原っぱを近鉄奈良線が貫く風景が、おぼろげに記憶に残っている程度でしたが、あの頃、肌で感じた風は、今も変わりません。

朱雀門の短い階段をのぼった観光客と思われる外国人の老夫婦が、その眼下に広がる平原を見て、「oh my goodness…」とつぶやいていましたが、それは感嘆ではなく、落胆のようです。かつての華やかな都の姿を期待していたのかもしれませんが、無味乾燥とした平原に魅力を感じることができなかったのでしょう。踵を返してそそくさと去ってしまいました。

平城宮跡を訪れるということは、その風を肌で感じることだと思います。東大寺の壮大な大仏や春日大社の朱色の神殿が視覚を通して伝えてくるものとは違った、ここでしか感じることのできない哀愁があります。マインドフルネスという言葉が流行って久しいですが、この地に立つと、「今、この時を生きる自分がいる」という状態を、ありのままに感じることができます。時を忘れ、日常生活の些細な悩みも消えて、ただひとりで歩くちっぽけな自分の存在を、平城宮跡の広大な空間と対比して見つめることができるからでしょうか。

朱雀門から歩いた先、平原の終着点には、大極殿という宮殿があります。その手前にある大極門の東側に、新たな楼閣が復原されようとしているようです。千三百年前の栄華が、少しずつ再現されようとしています。この地の復元整備が進めば、先ほどの老夫婦は、きっと嬉々としながら朱雀門を駆け抜けて、近代の建築技術によって蘇った平城京を楽しむでしょう。

では、その時の私は、その平城宮跡の姿を見て、何を思うでしょうか。

その地を流れる風に、何を感じるでしょうか。

また二十年後に、答え合わせをしてみようと思います。

コメント

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